生きるとは?考えさせられます。
6月のイレギュラーは止まりませんでした。(イレギュラー⑦)
もうこれ以上の不幸は無いかと思っていましたが、ある日フェイスブックを見ていると
ガンで闘病中の友人が、お別れのあいさつを書いているのを見つけました。
すぐにLineで他の友達に連絡をしたのですが、次の週の月曜日に亡くなりました。
彼は、確か20年くらい前に出会った夜のレストランバーのカウンターの常連でした。
私はその当時ブラックな仕事の仕方をしており、自転車で家から通勤して
終電の無い生活をしていました。相当な量の仕事をしているクリエーターだったので
朝10時半くらいから夜2時くらいまで休みなく仕事をして、夜のバーで
「昼メシ」を食べるのが日常でした。煙草も1日40本以上吸うやばい生活です。
そこで知り合った常連客のひとりが彼でした。
名前も職業も知らず、ニックネーム「みっちー」だけでしたね。
バーの常連客同士は、名前も職業も連絡先も知らず飲むときだけ愉しむのが普通です。
ただ、時間が経つとと急に距離が近づきはじめました。
彼は、その店のウェイトレスと付き合うようになり、結婚しました。
そして、何年かしてその店がつぶれた後にやっと普通の友人関係になった気がします。
私は友達がほとんどいません。
仕事の事を話すのが好きではなかったし、ある程度の距離感を置かないと
仕事が忙しくなると会えず、疎遠になるのがもう嫌だったのでしょう。
それでも彼は少ない友達のひとりだったと思っています。
8年間のがんのつらい闘病生活の間でも、明るい顔を見せてくれました。
私が内面を見せることができたのも、彼の包容力のおかげだったのでしょう。
43歳と9つも年下の葬式に出ている自分が不思議でたまりませんでした。
彼はまだやりたいことがたくさんあったのだろうと感じました。
では、私はいつ死んでもいいように後悔なく生きているのかと?そう思いました。
そのつもりです。ただし、ちょっと道草が多かった人生です。
でも、まだ走れるな。歳で上限を決めるのはもったいないなと思いました。
随分なスロースターターですが、何かやってみようと感じていました。