自己分析をしよう・会社員になって1
会社員時代の経験やスキルも振り返ってみましょう。
本当は学生時代にイタリアに留学したかったんですよね。
英語もしゃべれないくせに何を考えていたんでしょうか?
留学ってかっこいいと思っただけなんでしょう。
でも、どこか遠くに行きたいと思っていたのは事実です。
だから選んだのです、関西の会社。
知り合いはひとりもいません。
自分は環境に甘えやすいので、一人で飛び込んだ方が集中できると思いました。
別にそんなことをする必要もなかったのですがね。
関西系の弱い方のメジャー電器メーカーに入社しました。
コピー機、電子タイプライタ、感熱&レーザープリンタの部署に配属されました。
CADで図面を書く、パステルでデザインスケッチを描く、実物大のモックアップを
作成するなどの力は普通に仕事をやっているうちに身に付きました。
また、仕事場にPC(Mac)が導入されていき、PhotoshopとIllustratorを覚えました。
PCは久しぶりでしたが、慣れるのに時間はかかりませんでした。
中学の時にプログラム打ち込みをやっていたのが良かったようで、
PCやキーボードに対するアレルギーはありませんでした。
そのうちに、複写機のモニタ画面内のデザインをするようになります。
CANNONが権利関連を押さえていたので、いろいろと調べながら侵害しないように
デザインを考えていきました。これが後になって知的財産権の資格に繋がります。
またワーキングモデルを作成するために、Macromedia Directorを習得しました。
このアプリケーションは実行形式のExeを作成することができたので、
プレゼン資料をCDに焼いて配布したりしてました。
Lingoというスクリプトを組めるようになったので、いろいろな画面デザインを
シミュレーションするのに使っていましたよ。
またCGの表現にのめりこんでいったので、当時はやりのラピッドプロトタイピングを
行う部署に転属することになりました。
ラピッドプロトタイピングとは、プロダクト製品の試作方法のひとつで
通常、モックアップなどで色・形・質感などを実際に作成するのですが、
PCの中だけで表現し製品化までたどり着かせるのが理想的です。
そこではSilicon GraphicsのOCTANEを使用してAlias Studioでモデリング、
レンダリングをして液晶ビューカムなどの新作を作っていました。
大阪の本社に戻るように転勤の命令が出たのですが、両方の親が手術をすることに
なった為2か月延期を申し出たのですが、拒否されたため退職することにしました。
大会社でこのまま仕事をしていると、ぬるい生き方しかできない気がして
新しい会社を探すことにしました。
会社でのスキルはこのぐらい。
仕事があまり大量になかったので、基本をしっかり学ぶことができ、留学としては
成功だったように思えます。